一、中国における商業賄賂規制の最新動向
中国は2012年以降、「反腐敗」を重要な国策の一つと位置づけ、公共部門のみならず企業間取引における腐敗防止もその対象となっています。この流れの中、中国における商業賄賂規制は、制度的にも実務的にも大幅な変化を遂げています。特に2025年の中国「不正競争防止法」改正では、商業賄賂に関する規制が明確に強化されており、中国国内で事業を展開する日系企業にとって無視できない動きとなっています。以下では、同法改正の流れと今回の改正の要点を整理します。
1. 「不正競争防止法」の立法の経緯及び同法の位置づけ
「不正競争防止法」は1993年に初めて制定され、中国法体系において商業賄賂を直接禁止する法令として位置づけられています。同法に基づき、1996年には「禁止商業賄賂行為の暫定規定」(国家工商行政管理局令第60号、以下「暫定規定」)が公布され、商業賄賂の典型的態様等が定義されました。
もっとも、当時は市場経済の発展段階も浅く、規制の重点は「物品販売時のリベート等」に限定されており、今日のように複雑なビジネススキームには十分に対応できません。2017年には同法の大幅な改正が行われ、商業賄賂関連条項についても修正が加えられましたが、経済の急速な発展や新たな業態の相次ぐ登場という今日の状況に照らすと、当時の規定では依然として十分とはいえず、さらなる改正のニーズが高いと考えられます。こうした経緯を踏まえ、2025年改正は、従来の不明確さを補完しつつ、より厳格かつ包括的な商業賄賂規制体系を確立することを意図したものと理解されます。
2. 2025年改正における商業賄賂規制の主要な変化
(1)収賄側規制の明確化
従来、「不正競争防止法」において処罰の対象とされていたのは主として贈賄者に限られており、収賄者への処罰は明確ではありませんでした。確かに「暫定規定」第9条では「商品取引において賄賂を受け取った場合も処罰する」と定められていましたが、同規定は法規範としての位階が低く、かつ制定から時間がかなり経過していたため、実務において適用の可否が不明確な状況が続いていました。
こうした状況を改善するため、近年では一部の地方立法において、全国的な法改正に先行して収賄を処罰対象とする条項が盛り込まれましたが、実務では贈賄側のみが処罰され、収賄側の処分を免れる事例も少なくありませんでした。
今回の改正では、「商業賄賂の受領者も処罰対象とする」ことが明確化され、これまでのグレーゾーンが解消されました。これは中国が掲げる「行賄・受賄を一体的に取り締まる」方針を、「不正競争防止法」の改正をもって法律のレベルに正式に反映させたものといえます。
この結果、これまで贈賄企業のみが行政処分を受け、収賄側は「不問」に付されるケースも少なくなかったという運用状況は、今後大きく変化する可能性があります。特に企業内部規程の多くは「贈賄防止」に重きを置いており、収賄行為の禁止については十分に整備されていない場合が少なくありません。企業においては、今後は内部規程や教育体系の見直しが必須と考えられます。
(2)「両罰制」の導入
今回の改正のもう一つの大きな特徴は、企業のみならず賄賂の実施について個人の責任を負うものにも直接的な責任を課す「両罰制」(企業と個人を同時に処罰すること)の導入です。具体的には、賄賂の実施について個人の責任を負う法定代表人、主要責任者、直接責任者に対しても、最高100万元の過料を科し得る規定が新設されました。
従来から「従業員による賄賂は経営者による行為とみなす」との解釈は存在しますが、個人に対して直接的な過料・所得没収処分を科す仕組みは明確には存在していませんでした。この改正により、企業の「法人責任」と責任者の「個人責任」の両方が追及される体制が整備されたことになります。
外資系企業の場合、特に日系企業の多くは日本本社から派遣された駐在員が法定代表者や要職を務めています。そのため、今回の改正は日本人駐在員個人に対しても直接的なリスクが及び得ることを意味し、これまで以上にリスクマネジメントの必要性が高まるといえます。
(3)罰金水準の大幅引き上げ
表:中国「不正競争防止法」における商業賄賂規制の過料額の変遷
1993年 | 1~20万元 |
2017年 | 10~300万元 |
2019年 | (変更なし) |
2025年 | 10~500万元 |
上表のとおり、1993年「不正競争防止法」制定時の過料上限は20万元、その後2017年改正で300万元に引き上げられましたが、今回さらに500万元へと上限が引き上げられました。下限額は引き続き10万元のままであり、行政裁量の幅はより拡大されました。
これは、経済規模の拡大や物価水準の変化を反映した調整であるとともに、新規業態や複雑化する競争環境の下で、違反行為に対する効果的な抑止を図る強い立法意思を示すものと見られます。
(4)域外適用規定の新設
今回改正で新設された第40条は、中国国外で行われた行為であっても、中国国内の市場秩序や経営者・消費者の権益を害する場合には、中国「不正競争防止法」を適用することを明記しています。この場合、外国において現地法上は問題とされない取引であっても、その影響が中国国内市場に及ぶ場合、中国法の下で商業賄賂と評価される可能性があります。特に、中国現地法人が当該行為に関与している場合には、中国現地法人自体が法的処分の対象となるリスクが高まります。一方で、行為の主導権が国外の親会社にあり、中国現地法人が直接関与していないケースでは、親会社に対する執行の可能性と実効性が課題として残っています。このため、こうした規定の適用効果や実務運用の実態については、今後の執法事例の蓄積、司法解釈の動向、関連規定の公布状況を総合的に観察し、慎重に分析していく必要があります。
この規定は、日系企業を含む多国籍企業にとって、本社が決定したグローバル販促施策が中国法上「商業賄賂」と評価されるリスクをはらむことを意味し、グローバルコンプライアンス体制の再検討を迫るものです。
二、日系企業における実務上の対応課題
今回の「不正競争防止法」改正により、商業賄賂規制は従来以上に厳格化され、その適用範囲や執行の在り方も一層明確化されました。これにより、中国に進出する日系企業にとって、商業賄賂を中心とする法的リスクはもはや理論的な検討にとどまらず、日常の企業活動に直結する喫緊の課題として現れています。とりわけ、贈賄と収賄の認定基準が国ごとに異なること、さらに法人責任と個人責任が複雑に交錯することを踏まえると、企業としてどのようにコンプライアンス体制を設計し、実効的に運用するかが最大の焦点となります。
以下では、今回の改正を背景に、日系企業が優先的に取り組むべき主要な対応課題を整理します。
1. 内部規程の再整備
贈賄の禁止だけでなく、収賄の禁止も明確に社内規程に位置づける必要があります。そのうえで、社内通報制度や監査体制を強化し、実効性を確保することが不可欠です。
2. 駐在員に対するリスクマネジメント
駐在員を含む経営幹部には、商業賄賂規制をはじめとする法的リスクに関する説明責任が従来以上に重く課されています。特に日系企業では、駐在員が法定代表者や管理職に就任するケースが多く、企業活動の過程で賄賂と評価され得る行為が発生した場合、企業責任に加え駐在員個人が直接的に法的責任を問われるリスクが高い点に注意が必要です。そのため、駐在員に対するリスクマネジメントは、単なる形式的なコンプライアンス研修にとどまらず、商業賄賂防止を核心に据えた内部統制の一環として位置づけることが求められます。
3. クロスボーダー施策の事前審査
日本本社が主導する販売キャンペーンなどが、中国においてどのように評価されるかは予測が難しい部分があります。そのため、事前にリーガルチェックを行い、グローバル施策を中国の法規制と整合させる体制を整備することが不可欠です。
三、終わりに
以上のとおり、2025年改正「不正競争防止法」により、中国における商業賄賂規制は、処罰対象範囲の拡大、責任追及の厳格化、域外適用の導入など、質的にも量的にも大幅な強化が図られました。これにより、日系企業にとっての法的リスクは、単なる理論的な問題を超えて、日常的な事業運営に直結する実務上の重大課題となっています。今後は、内部統制や社内規程の再整備、駐在員を含む経営幹部への徹底したリスク教育、そしてクロスボーダー施策の慎重な検討を通じて、グローバルとローカル双方の視点から実効的なコンプライアンス体制を構築していくことが不可欠です。最終的には、「中国特有の規制環境を十分に踏まえた事業運営」が、日系企業の持続的な成長とリスク回避を両立させる鍵となるでしょう。